目の前の餅^^
韓国戦・・・・残念でした。ぐすん。
朝まで観覧していたのですが、どよん~っとした気分になり、blogも開けず、爆睡しちゃいま
した^^; 先日、友人がソウルから買って来てくれた、赤いグッズの数々・・・・。決勝トーナメン
ト仕様と決めていたのに、使わずじまい・・・。ざんねーーーーーん!!!
さて、気分を取り戻すために、今日は、2001年のヒョシン君の記事を翻訳してみました^^




毎度のごとく超訳ですので、その点はご了承くださいませ^^
それにしても、20歳でこんなに確固たる信念を持っているとは・・・!!!

レディー경향 2001年 3月号

"ささいな音にも涙する思春期少年の郷愁"

"リトル イム・ジェボム"、"韓国のマイケル・ボルトン"
そして "神様が降りてきた声"・・・・・・パク・ヒョシンをつきまとう修飾語だ。
20歳という年齢には、似合わない重厚な声の持ち主。
でも、CD 一枚に幸せを感じ,ささいなことに涙する感受性が豊かな少年の姿を持っている。
20歳とは思えない低いトーンの声のパク・ヒョシン。


"内気" "涙" などの単語で通じるイメージ

パク・ヒョシンの部屋の片側の壁は一面CDでいっぱいに埋め尽くされている。
時間があれば、レコードショップに出向いて、一度に20枚もCDを購入することもある。
"事務所にもこんなにCDがあるといいですね"という言葉で、マネージャーは懐をゆるめざる
おえないが、CDは結局、事務所ではなく、彼の部屋の壁に行ってしまうことが多い。
バッグの中には、常に50枚あまりのCDが常備され、短い距離でも移動するときの車の中では、そのときの雰囲気に似合う音楽が必ず流れることになっている。
そうやって集めたCDは約1000枚ほど。"勉強のため"と言い訳をするが、音楽を聴くことは
ヒョシンから取り除くことができない生活なのだ。

TV出演なく、それも新人歌手が"音楽"という武器ひとつだけで、
50万枚のCDセールスを飛ばしたパク・ヒョシン


新たに発表した2集は、製作段階から1集とは違っていた。
作曲家を探し回って、曲を物乞い(?)しなければならかった1集。
しかし、2集は作業を始める前から、約50曲もの作品が並んで待っていたのだ。
神様である作曲家から有名作曲家まで。

タイトル曲に"遠いところで"を選んだ2集は結局、ユンサン、キム・ドンニュル、ユ・ヒヨル、
キム・ヒョンチョル、チョ・ギュチャンなど、とても有名なミュージシャンたちと作業をともに
することができた。
"ジャンルが多様になった"、"パク・ヒョシン的な色が消えた"という相反する評価に対して、
"歌手が自分の色ばかりを固執した瞬間からファンはマスではないマニア層に限定
される"、"音楽好きな人々に音楽をやる以上、歌いたい音楽に意地を張らない" などと
いう自分流の哲学を持っている。
音楽をやっている間、”伴奏は音楽性、メロディーは大衆性を追い求める”という考えも絶対
に忘れないというヒョシン。
こんな哲学的なロジックの中で作られた2集は彼に、"惜しさが残った。でも、満足できるア
ルバムに仕上がった"という。

とんでもなく思う人がいるかもしれないが、パク・ヒョシンを30代の男性と誤解していた人は
非常に多い。TV出演を頻繁にしない彼の声だけを聴いて、30代と誤解することは無理もな
い。低いトーンの声と熟練された発声テクニック、生半可な20歳が歌う歌とは、どうしても
信じられないのだ。
そんなわけで、デビュー当事、放送局に言って録画のためのシナリオを受け取りに行くと、
"見学者は本番は出ていきなさい"という声を聴かなくてはならなかった。重厚な声を持った
30代の男を待つ放送局のスタッフの目には、パク・ヒョシンの存在は目に入らなかったのだ。
でも、この場合はまだまし。
パク・ヒョシンと言う名前は、名前が女みたいだという理由だけで、シナリオにこんな質問が
書かれていることも何度かあった。
"ネイルケアはどうしていますか?"、"スキンケアのやり方を教えてください"・・・・・。

"伴奏は音楽性,メロディーは大衆性を追い求める"

率直に言って、パク・ヒョシンに関するきちんとした、"20歳の男性である"、という情報を持って
いたとしても、狼狽するのは同じだ。低いトーンでしっかりとしたテクニックを持つ声の主が、
あんな感じにはにかむ少年の姿とはまず思えないからだ。
学生時代、あの声の主は、結構はにかむ少年だった。
"○番(たぶん出席番号のことを指しているのだと推測します@nara)パク・ヒョシンです"と
言うのも困惑してしまうぐらい内向的な性格だったというパク・ヒョシン。そんな性格なのに、
中学3年のときに、"学園祭で舞台に上がってみろ"、とパク・ヒョシンを説得した友達を尊敬
せずにはいられない。もちろん、"それは、やつら(友達)は別に狙ったところあったんです"
とヒョシンが言うように、賞金と受賞でもらった商品はまんまと友達の手に渡ってしまったらしい。そして、この経験に味を占めた友達は続いてヒョシンを "富川市青少年歌謡祭"、"富川 YMCA 歌謡祭"、"仁川済物浦芸術祭"と出場させて、そのたびに大賞をつかんでいったのだ。

インタビューで、パク・ヒョシンについて、改めてわかった事実がひとつある

1999年アルバムを発表して 6ヶ月経った頃、特別な反応がないことで事務所では、
"パク・ヒョシンのこれから・・・・”に対して会議が開かれた。
"彼を切るしかない"と言という意見が多かった中、 "借金もする覚悟はできているから、
あと1ヶ月だけ待とう"という事務所の代表取締役の発言で、1ヶ月の猶予を与えられたという。
その間、パク・ヒョシンの音楽は放送に乗り始め、2万枚だった売り上げが、あっと言う間に
2桁の数字を記録することになった。
一歩遅れてマネージャーの口を通じて、知らなかった事実を知ったヒョシン。
"宣伝しなくても人々が"と言いながらも少しすねた口ぶりもしてみせる。
もしも、"1ヶ月"という猶予期間がなかったら、50万枚のセールスと、ゴールデンディス
ク新人賞という栄誉はなかったはずだ。

幸い、シンガーになってからの約1年で、内気な性格は大きく変わった。
初めて会う人たちとも会話を交わすのがぎこちなくなくなった。
でも、ライブでちょっとした間違いをしたとき、サインをしてくれというファンに対してそっぽを
向かねばならなかったときなど、人目を避けて涙を流すことも多いという。
繊細な感性を持っているパク・ヒョシンには、もしかしたら芸能界は、まだ厳しい空間なのか
もしれない。

最近のパク・ヒョシンには、ときめく出来事がある。それは大学生活だ

誰もが大学生活に対して漠然とした幻想を持つが、ヒョシンもそれは同じなようだ。
その幻想が壊れるのにかかる時間は、早ければ1日、遅ければ1年というが、実際にはどう
なのかはわからない。
パク・ヒョシンに降り注がれる "韓国のマイケル・ボルトン"、"リトル イム・ジェボム"という
修飾語を気に入っているか、という質問に対しても、真摯な態度で"神様が降りてきた声"だ
と答えてくれる。彼は、誰かと比較されることが嫌いで、そういう修飾語をありがたがらない。
が、そういいながらもパク・ヒョシンは"~みたい、という表現ををありがたく思っている"と付
け加えることも忘れない。

今は、海外の音楽を聴いて勉強をしているけれど

いつか海外で、自分の音楽を聴きながら勉強できるような、そんな水準の音楽を目指したい
というパク・ヒョシン。レコーディングルームに入れば、普段は見ることができないパク・ヒョシ
ンの頑固な面に出会うことができる。すべてのスタッフが、"素晴らしい!"と賛美しても、パク・ヒ
ョシンが、"もう一度やらせてください"と言えば、再度ダビングしなおさなければならなくなる。
でも、いっしょに作業しているスタッフは、彼はその部分には妥協しないことをよくわかっている。その頑固なパク・ヒョシンが立てた目標は、決して"高根の花"ではない。それは"絵に描いた餅"ではなく、"目の前の餅"として、実現するかもしれないという考えに変っていた。

文/곽경선기자

(for special thanks누나 카페^^)
by narannoruja | 2006-06-24 17:22 | Hyoshin★Media
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