いやいや、アルバム発売から早1ヶ月半。
発売当初は、アルバムが出たことで天まで舞い上がり、
やっと地に足がついて、再度アルバムを聴きなおし、
いろいろ考えをめぐらせていたところに、秀作なレビュー
を発見!!!!!! いや、このサイト、2005年の
ライブのときにも、なかなか秀作なレビューを書いていて、
うむ、とうなるところがありましたが、今回も脱帽です。
そうなんだよね、そのとおりだよぉぉぉ、何度もひざを打ちました。
ここ1週間、5集のよさを感じつつも4集に戻ってみたり・・・。
気持ちがこれで、すっきり・・・^^
私が言いたいことみんな書いてある^^;
少々辛口に思う人もいるかもしれませんが、このライターさん
とってもヒョシン君の音楽が好きなんだと思うわぁ^^
少々長いので、お暇なときにどうぞ。
言葉が少々難しく、翻訳するのに時間がかかりましたが、
翻訳してよかった、と思う文章でした^^
多くの人に読んでほしい文章です。
1
パク・ヒョシンが新しいアルバムを持って帰って来た。
音楽好きな人で、彼の帰還を喜ばない人がどこにいるだろうか。
ところで帰って来た彼は、いくつか変化を遂げていた。
何よりも唱法が変わった。ちょっとびっくりするほどパク・ヒョシン
の従来の声と唱法の多くが変わった。歌手が自分の唱法を変えること
は珍しくない。そこにはたくさんの悩みがあったはずで、
また彼にも彼なりの理由があったはずだ。
ところがひとつ、指摘しておかなければならないことがある。
パク・ヒョシンのカムバックに関して、一番多く使われる常套句は、
彼が"soul音唱法"を脱した、ということだ。
でも、ここに間違った誤解が生じている。
彼が正規アルバム活動をしない間、何人かの "韓国系ミディアム
テンポバラード"の歌手たちが、韓国的メロディーにsoulのボーカル
テクニックをちょっと表面的に使った方法で、やたらめったら多くの人気
を集めた。冷え込んでいた韓国の音楽市場でも、出すだけでどんどんと
売れていくという現象が起こっていた。これがやたら増殖したいわゆる
"soul音唱法"と称されたものだ。
このような音楽ジャンルは、以前にも浸透したことはあったが、
R&B的飾りを施しただけで、トロットのような耳慣れたメロディラインを
使っている。そこに明快に歌う情感をプラスし、大衆に大きくアピール
したというわけだ。
しかし、このような音楽ジャンルは、ソウルミュージックやR&B的伝統
を受け継いだものではないし、そのジャンルのパワーを持っているわけ
でもない。かなり増殖したこのテの音楽ジャンルは、テクニック的な
アレンジが過剰にされすぎていて、安易で呆れてしまう部分もある。
最終的には、すべて同じ、という印象を与えてしまったのだ。
しかし、そういう音楽ジャンルとパク・ヒョシンは全然関係がない。
パク・ヒョシンは完全に精通したR&B的感性を歌謡界に持ち込んだ
歌手だ。彼が駆使するテクニックやバイブレーションの質感は、
ただ真似しただけで出せる水準とはまったく違っている"真性"
のモノだ。特に、2005年のリメイクアルバムとその公演を通して、
パク・ヒョシンはsoul的感性を充分に発揮するために、魂を込めて
いた。彼はもう大韓民国で、最上級のコントロールを持った歌手だ。
感情移入は言うまでもない。荒い声質のバイブレーションにだけ
寄り掛かって "歌の力"を生かしたことはない。
彼は哀詩歌技巧にだけ寄り掛かって歌う歌手ではないのだ。
いつ彼の音が、やさしく感じられないときがあったのかはわからない。
それは彼の音に問題があったのではなく、彼が音に入り込むための
入り口であったにすぎないのだ。
もともと優れたボーカリストたちにとって、ただ"きれいに感じる声"
というのはめったにない。
ティナ・ターナーの声はハスキーボイスだが、もっと声を磨くべきだ
と誰が言うだろうか。マイケル・ジャクソンの声は線が細いと不満
に思った人はどこにいるだろうか? ミック・ジャガーの声はハズ
れがちだと悪口を言う人間がどこにいるだろう。
これらの声はむしろ、自分の味となり、その人の個性となって発揮
される。パク・ヒョシンほどの力があれば、それも決して高い入り口
ではないのだ。
常にファンが理解できいる音で、"soul唱法"を表現することはで
きる。しかし、そういってそれが音楽的に意味があるカテゴリーに
なるわけではない。それにもかかわらず、"大衆音楽"と関わるさ
まざまな軽薄なメディアたちは、この表面的なジャンル分けに何
かの意味があるかのように、無差別的に、アクが強いバイブレー
ションを使う歌手たちをひとつのジャンルで縛ってしまう。
一歩進んで"今はこのようなスタイルには飽きた"と宣言しよう。
内緒だが、ファンまで錯覚に嵌っている。
パク・ヒョシンが登場した後、彼に似ている歌手を見た記憶が
私にはない。そんな状態なのに飽きることなどできるだろうか。
もしも、そんな風に自分が評価されているとパク・ヒョシンが
感じていたとしたら、それはしてはいけない錯覚だ。
2
何年前、ドラマーのナム・グンヨンはパク・ヒョシンに言った。
声楽をしている自分の妻が、パク・ヒョシンの声を称えていて
"100年に一度出るかどうかの声帯の持ち主"だと言ったという。
パク・ヒョシンは、どんな風に分類しても"我が国で、一番歌が
上手な歌手"のグループに入る歌手だ。"soul音"だから、
"WooowWooow"と歌うやり方だが、ひとくくりにくくれる歌手
ではなかった。そして実際にくくれなかった。パク・ヒョシンの歌唱
力に関しては、"論議"することはない。彼のボーカルこそ、論議
の余地なく、愛され、賞賛を受けるべき声ではないか。
アルバムを聴いて、"もし"という考えをしばし持った。
彼の作り上げた変化が、"自分の希望に"によるものなのか、
"外部を意識した"ことなのか、見分けにくかったからだ。
確かに、新しい音が新しい感じを作り出している感じはあった。
が、彼が持っていた音色の一部という感じもあったからだ。
今日2月11日、SBS人気歌謡に出演したパク・ヒョシンの歌を
聴いてからは安堵感で胸をなでおろした。
舞台に立ったパク・ヒョシンは、想像以上に"自分の音"を出していた。
音はそのままだ。久しぶりに歌を歌ったせいなのか、まだ開放されて
いない感じはあるがそのままだ。
ただ、アルバムに詰め込まれた"節制された感じ"を出そうとすごく努力
しようとしているようだ。それによってやはり音が制限される。
まだ新しい音に、彼自身も慣れなかったようだ。
そんなに新しい道の前に立った彼に
"杞憂"のように贈る希望はこれだ。
スタイルを変えようと思って、新しい音を模索する姿勢は、歌手たちにとって
極めて望ましい姿だが、自分が持っている大切な資産は、必ず貫き通して
ほしいと思う。"音楽"と"メッセージ"に合わせて、自然に唱法と感情移入を
調節するのは、かまわないが、他のなにかを意識する必要はまったくない。
他の歌手は、理解できなくても、パク・ヒョシンではない"雪の華"で、そして
前作であるリメイクアルバム"Neo Classicism"で、彼はもう似た努力を
したところがあって、それはそれでもう充分成功したのだ。
新しいアルバムに詰め込まれた繊細な声に惚れる新しいファンも確かに
生まれるだろう。彼は新しい声を開拓しながら、彼は確実に新しい発展
と新しい成就を成すはずで、私はそれを楽しく鑑賞するつもりだ。
けれど、ひたすらパク・ヒョシンだけが成し遂げた、過去の深くて豊かな音
を聴きたがる人々もそのまま存在する。拡張はいくらでもするが萎縮しな
いところを、つかつかとつかつかと進むんでも、通り過ぎた記憶も楽しく
抱いていてほしい。
その記憶は私たちにもあまりにも楽しいことだったからだ。
[piffania.com] 2007.03.10
http://www.piffania.com/zboard/zboard.php?id=news&no=496